新刀剣男士・福島光忠について紹介&考察をしていきます!
今年もこの時期がやってまいりました、年末年始の連隊戦の時期が。
審神者の皆様におかれましては、この一年で培ってきた総力をあげて、連隊戦に参加している事だろうと思われます。
さて、1年の締め括りであると同時に、新年開始の合図でもある連隊戦。
今年もまた、新刀剣男士が報酬として登場してきましたね……。
それもまさか、あの刀剣男士の「兄」だなんて予想外の情報を引き連れて……、多くの審神者方が驚愕をしたのではないでしょうか?
というわけで、今回は審神者達を驚愕させた新刀剣男士・福島光忠についてよりよく知る為、その歴史や号の由来の紹介、そして刀剣男士としての設定に纏わる考察を行ってみようと思います!
- 新刀剣男士・福島光忠の歴史や号の由来について知れる!
- 刀剣男士としての福島光忠の設定について考察!
- 情報を先にインプットしておくことで、よりキャラクターの事を深く理解した状態でゲットする事ができる!
この記事は5分ほどで読み終わります。
ぜひ最後まで読んで、福島光忠についてのあれやそれを頭の中にインプットした状態で、福島光忠をゲットしてみませんか?
【関連記事】 次に実装された新刀剣男士(七星剣)について知りたい方は、以下のリンクの記事をご一読下さい。 https://chara.ge/tohken/touken-ranbu-seven-star-sword-new-swordsman-history-commentary/ |
福島光忠の「刀」としての歴史と名の由来
それではまず、福島光忠の「刀」としての歴史やその号(名前)の由来について紹介していこうと思います!
福島光忠の主は戦国武将・福島正則
福島光忠は、長船派(おさふねは)と呼ばれる刀鍛冶一派の祖・光忠(みつただ)が作り上げた太刀です。
大きさは約72cm。
当時の単位で表すと「二尺三寸七分五厘」と呼ばれる形になります。
本阿弥家公認の名物刀剣台帳の「享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)」にも名を連ねる刀であり、それ故、博物館や美術館で展示される際は解説札には「名物」2文字が記載が行われる1振でもあります。
号の「福島」は、持ち主であった戦国武将・福島正則(ふくしま まさのり)の名前が由来。
元は広島にある日蓮宗の寺院「本覚寺」にあったものだったそうですが、当時広島を治めていた福島正則がお寺から刀を没収し、自らの物として佩刀するようになったとのこと。
福島正則死後は、彼の息子・福島正利(ふくしま まさとし)が、時の将軍家、つまりは徳川家に献上したとされています。
実際、享保名物帳内の福島光忠は、「水戸宍戸藩」(現在:茨城県笠間市平町にあった藩)にて、2代藩主・松平頼道(まつだいら よりみち)が所持していた、という旨が一緒に記載されているそうですよ。
刀の持ち主・福島正則とは
福島正則は、戦国時代に実在した武将です。
元は尾張国海東郡(現在:愛知県あま市)にて桶屋を営む一家の息子でしたが、母が豊臣秀吉の叔母・松雲院であった事から、彼の父・福島正信(ふくしま まさのぶ)が秀吉の家臣として仕える事に。
そしてその息子であった福島正則も、豊臣秀吉の家臣として仕える次第となりました。
秀吉の家臣として数々の武勲をたて続けた正則は、結果「武断派」と呼ばれる武力で政治をなしえる豊臣家臣達の代表的な1人として数えられるようになります。
しかし、秀吉死後行われた「関ヶ原の戦い」では、石田三成率いる「文治派」(武力じゃなく、法令などで政を行おうとしていた一派)と「武断派」が対峙していた事もあり、徳川家側につく事となります。
とはいえ、本人は徳川家康を将軍にさせるというよりも、石田三成を退かせ、豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼(とよとみ ひでより)に天下をとってもらおうと考えていたとか。
石田三成とは対峙していましたが、豊臣家に対しる厚い忠義・恩恵は保ったままだったという事ですね。
その後は生き残る為か、徳川家によって開かれた江戸幕府への忠勤の姿勢を見せるようになりますが、徳川家康死後、台風で壊れた城を幕府に許可を取らずに勝手に修復した事で「武家諸法度」と呼ばれる、武家専用の法律に引っかかってしまいます。
結果、領地や家屋敷を没収される刑罰「改易」(かいえき)を受ける事となり、福島家は没落。
後に彼の息子・福島正利によって再建される事とはなりますが、正則の人生は家が取り潰された状態のまま終焉を迎える事となってしまったのです……。
福島光忠と燭台切光忠は兄弟って本当?
ここからは、「刀剣男士」としての福島光忠に注目した紹介・考察を行っていきます!
まずは、公式で明かされた情報の中で、一番多くの審神者の関心を集めた「燭台切光忠のお兄ちゃん」という情報について注目してみようと思います。
2振とも同じ刀工によって作られている
刀剣乱舞配信当初から実装されていた刀剣男士・燭台切光忠。
今回、新たに実装される事となった福島光忠とは「兄弟」である事が明かされています。
この「兄弟」という設定は、彼らが同じ刀工が制作された事が起因していると思われます。
刀剣乱舞内には、「粟田口兄弟」、「左文字兄弟」、「堀川兄弟」と、同じ刀工から制作された刀の事を「兄弟」として扱う設定が存在します。
福島光忠と燭台切光忠が「兄弟」とされる理由も、この風潮から来ている設定だといえます。
なお、2振の制作者である光忠は、現代も続く刀工の一派「長船派」の祖とされている人物です。
刀剣乱舞には、燭台切光忠以外にも長船派に属する男士達がいますので、彼らと福島光忠の関係もどのように扱われるのか注目の1点でしょう。
兄弟ではあるけれど、実は「兄」であるかは不明
公式の設定いわく、燭台切光忠に「お兄ちゃん」と呼ばれたいと思っているらしい事が明かされている福島光忠。
となると、福島光忠=燭台切光忠の兄、という構図が自然とできると思われますが、実は史実においては「燭台切光忠の兄」にあたる刀であるかどうかは不明となっています。
なぜなら、福島光忠も燭台切光忠も、一体いつ作られたのかが不明な刀達だから。
どちらが先に誕生したのか不明の刀の為、本当に兄であるかどうかは定かではないのです。
他にも刀剣乱舞では、刀のサイズが大きい者を兄、小さい者を弟と扱う流れもありますが、今回の場合、福島光忠も燭台切光忠も刀種は「太刀」と、両者共大型の刀剣男士となってしまっています。
なので、刀種で兄・弟にわける事も不可能。
ですが、刀身の長さを比べると、福島光忠が二尺三寸七分五厘(約72cm)、燭台切光忠が二尺二寸三厘(約67cm)と、若干のサイズ差が存在する事も判明しており、こちらが今回の「兄」設定を生み出すきっかけになったのではないかと推測できます。
長船派以外で関係がある刀剣男士は誰か
燭台切光忠率いる長船派と縁深い刀である福島光忠ですが、現時点でもう1振、彼に縁のある刀剣男士が存在している事が明らかになっています。
それが槍・日本号です!
実は彼は、かつては福島光忠と同じく福島正則のもとにあった槍でした。
しかし戦国大名・黒田孝高(くろだ よしたか)の家臣であった母里太兵衛(ぼり たへえ)が、福島正則から日本号を「呑みとった」為、日本号は福島家から離れてしまう事となります。
なお、この史実自体は、刀剣乱舞公式の説明で言及済。
さらに、「回想」の欄においても、日本号と福島光忠の会話が見られる事も判明しています。
回想の題は「正則の話」。
刀剣乱舞の日本号は黒田家の槍として話題にあげられる事が多い為、これまでは福島正則の話はあまりされてきませんでした。
もしかしたら、福島光忠をゲットした暁には、本回想を通して日本号の新たな一面を見られるかもしれませんね!
福島光忠のキャラクターデザインについての謎
燭台切光忠の「兄」として突如現れ、審神者達を騒然とさせた福島光忠。
しかしもう1つ、福島光忠が審神者達を騒然とさせた点があります。
それがキャラクターとしての「デザイン」です。
派手な服装は「人間の趣味」からできている?
福島光忠の実装が発表される前、審神者間では次の実装男士は「道誉一文字」なのではないか、という噂がたっていました。
これは現在期間限定公開中の新合戦場が、「道誉一文字」の持ち主と関連性を見出だせる場所であった事が大きく起因しています。
さらに実装男士の名前が発表される前に公開される、恒例のキャラクターデザイン「チラ見せ」の際に、服装が派手やか、どこか組みのものっぽい雰囲気がある事が判明した事から、そういった雰囲気を持っていた刀剣乱舞の「一文字」一派に近しいと推測され、道誉一文字説が濃厚となっていました。
ですが実際に登場したのは、なんと「長船派」と、一文字とは異なる派の刀剣で、審神者間を騒然とさせる事態に。
なお、この派手やかな服装についての理由は語られていませんが、公開された福島光忠のPVにてその見た目に関わると思われる意味深な台詞が発表されています。
「これは所謂、人間でいうところの……趣味ってやつ、なんだろうね」という、この意味深な台詞。
一体何が「人間でいうところの趣味」なのかは不明な台詞ですが、現状「人間の趣味」が反映されそうなものといえば、人間が語る逸話や史実をもとに作られるという刀剣男士達の「見た目」しか考えられません。
加え、福島光忠の制作者である刀工光忠は、華やかな見た目の刀を作る事で有名な刀工です。
そのような光忠自身の作風・趣向が、福島光忠の今の姿を作ったのではないか、と審神者間では噂されていたりします。
紋は「福島正則」の家紋は模範にしたもの?
とはいえ、反映されているのは刀工の作風・趣向ばかりではありません。
実は現段階で公開されている彼の「紋」は、福島正則の家紋を模したものである事が判明しています。
というのも、彼の紋の真ん中に描かれている「沢瀉(おもだか)」と呼ばれる植物のシルエットが、実は福島正則が使用していた家紋にも描かれていたものだから!
福島光忠の名の由来を外す上でかかせない、福島正則の存在を確かに感じられる刀剣乱舞オリジナルの紋だといえるでしょう!
また、この植物は、実物の日本号の柄部分にも意匠として施されているとのこと。
もし博物館・美術館等で日本号を拝見する機会があったならば、ぜひその柄の部分に注目して見てみる事をおすすめします!
薔薇を持っているのは、福島光忠ゆかりの地に由来している?
それでは最後に福島光忠のキャラクターデザイン、最大の謎について記そうと思います。
福島光忠のキャラクターデザイン最大の謎……、それは彼が手に持つ「薔薇」です。
はたしてなぜ薔薇を手に持っているのか。
これについての公式からの説明は存在しません。
それ故、審神者間では様々な考察が飛び交っていますが、中でもよく見られるのが「福島光忠のゆかりの地に関連している」というもの。
というのも、実は福島光忠の持ち主・福島正則が治めていた広島は、現代においては「薔薇栽培」が盛んな県として有名になっているのです。
さらに福島正則亡き後、福島光忠が実際に所持されていたとされる水戸宍戸藩があった茨城県の県花も「薔薇」であるとのこと。
この何かと薔薇に縁のある刀であった事実が、今回のデザインに繋がったのではないかと推測されているのです。
そもそも彼自身、「派手な服装は「人間の趣味」から出来ている?」の項でも説明した通り、華やかな見た目の刀を作る事で有名な刀工による作品です。
そこに薔薇という、華やかさを代表するような花と縁があるとすれば、これはデザインするに越した事はないのではないでしょうか。
だとすると、ある種の運命的な出会いを感じられる組み合わせだと言えなくもないかも?
まとめ
以上、福島光忠の歴史や由来の紹介、刀剣男士としての設定に関する考察でした!
刀剣乱舞は、キャラクター設定や「回想」なるものこそあれど、メインとなるストーリーが存在しないゲームです。
その為、各刀剣男士達の事をより深く理解する為には、実際の彼らに纏わる歴史や、それらを元に制作された「刀剣男士(キャラクター)」としての設定・デザインから、プレイヤー自身が深読みをし、掘り下げていく必要があります。
この記事に書かれている情報が、福島光忠という刀剣男士の事を、よりよく理解し、好きになれる、その手助けを行う事ができていれば幸いです。
それでは。
皆様、よき刀剣乱舞ライフをお過ごしくださいませ!
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