【艦これ】鎮守府艦娘名簿 其の五 駆逐艦雪風 編

陽炎型駆逐艦8番艦、雪風です。どうぞ、よろしくお願いしますっ!

艦隊これくしょん、通称艦これは現在も根強く人気のあるソーシャルゲームです。

現在ウマ娘が出てきており、大人気コンテンツとなりゲーム・アニメ・映画も大ブームとなっています。

艦隊これくしょんは下火になりつつある・・・そんなことはないです。

提督のお戻りを、もしくはまだ未着任の提督も艦娘たちは待っています。

艦これブームを再来させたい!

そのような思いからこの企画を進めています。

あなたも艦娘と一緒に深海棲艦との闘いに赴きませんか?

今回は雪風についてご紹介します。

  1. 艦隊これくしょんでの雪風
  2. 奇跡の駆逐艦雪風
  3. おかえり・・雪風

≪この記事は3分程度で、読むことができます!!≫

↓もし前回の記事読まれていない方は、初回の長門編から読まれることをオススメします!!

【艦これ】鎮守府艦娘名簿 其の一 戦艦長門 編

雪風はどんな艦娘?

この章では雪風がどんな艦娘なのか、ご紹介します。

艦名雪風(雪風)
図鑑ナンバー004(改(丹陽)は451、改二は456)
艦級陽炎型八番艦
艦種駆逐艦
CV藤田咲
絵師しずまよしのり

雪風は、日本海軍の陽炎型駆逐艦の八番艦です。

その驚異的な幸運さから「不沈艦」として知られ、数々の激戦を生き抜きました。

特にミッドウェー海戦レイテ沖海戦などでの活躍が有名です。

ゲーム内の雪風もその特徴を反映し、高い回避性能のステータスを持っています。

さらに、性格は元気で前向き、しっかり者として描かれ、多くの提督に愛されています。

史実におけるの雪風はどのような戦艦だったのか?

史実における駆逐艦雪風がどのような艦船であったのか、この章でご紹介します。

概要

駆逐艦雪風は、日本海軍の陽炎型駆逐艦の八番艦で、1939年に進水し、1940年に就役しました。

雪風はその卓越した運の良さと戦闘能力から「幸運艦」として広く知られています。

太平洋戦争では数々の重要な戦闘に参加し、特にミッドウェー海戦、第三次ソロモン海戦、レイテ沖海戦などでの活躍が際立っています。

ミッドウェー海戦では、僚艦の救助活動に従事し、その後のガダルカナル島撤退作戦や多くの輸送作戦でも重要な役割を果たしました。

1944年のレイテ沖海戦では、激しい戦闘の中で味方艦を援護しつつ、自身も生還を果たしました。

終戦時には、雪風は日本海軍の駆逐艦として唯一生き残り、戦後は中華民国に引き渡され「丹陽(タンヨウ)」と改名されました。

最終的には、1966年に退役し、解体されました。

雪風の戦歴は、その幸運さと耐久力を象徴しており、日本海軍の駆逐艦の中でも特に有名な存在です。

建造と設計

陽炎型駆逐艦は、前型の吹雪型と比較して、防御力や航続距離の向上を目的として設計されました。

雪風は1938年8月2日に佐世保海軍工廠で起工され、1939年3月24日に進水、1940年1月20日に竣工しました。

雪風の設計には、高速かつ高い機動性が求められました。

全長118.5m、幅10.8m、基準排水量は2,033トンであり、最大速力は35ノット(約65 km/h)を誇りました。

主砲には50口径12.7cm連装砲3基を備え、対空装備として25mm機銃や爆雷投射機を搭載していました。

また、魚雷発射管も装備しており、特に61cm四連装魚雷発射管2基を搭載し、高い対艦攻撃能力を持っていました。

陽炎型駆逐艦の特徴として、優れた耐波性と長距離航行能力が挙げられます。これは太平洋戦争中の広範囲な作戦行動において大きな利点となりました。

戦歴

1941年の真珠湾攻撃の際、雪風は第三艦隊の護衛任務を担当し、その後のフィリピン攻略戦やマレー作戦にも参加しました。

1942年のミッドウェー海戦では、第十駆逐隊に所属し、空母飛龍の救援活動を行いました。

その後、ガダルカナル島攻防戦では、第三次ソロモン海戦やルンガ沖夜戦で重要な役割を果たしました。

1944年のレイテ沖海戦では、栗田健男中将率いる第一遊撃部隊に所属し、シブヤン海海戦やサマール沖海戦で奮戦しました。

サマール沖海戦では、雪風は激しい戦闘の中で僚艦を援護し、最終的に生還を果たしました

戦争の最終局面では、南方からの撤退作戦や輸送任務にも従事し、終戦時には日本海軍の駆逐艦として唯一無傷で生き残りました。

その後、雪風は中華民国に引き渡され、「丹陽(タンヨウ)」と改名され、最終的には1966年に退役、解体されました。

中国での活躍~丹陽(タンヨウ)の活躍~

終戦後、雪風は1947年に戦争賠償の一環として中華民国に引き渡され、「丹陽」と改名されました。

中華民国海軍において、丹陽は艦隊の主力として再整備され、多くの作戦に参加しました

1953年の東山島戦役では、共産党軍の補給船団に対する攻撃を支援し、その存在感を示しました。

丹陽はその後も中華民国海軍で長期間運用され続け、性能向上のための改修も行われました

日本時代からの高い機動性と耐久性が評価され、他の艦艇に先駆けて最新装備の導入が図られました。

特に対空火器の強化やレーダーシステムの更新が行われ、当時の最新技術を取り入れた艦艇として運用されました。

最終的に、丹陽は1966年に退役し、その後解体されました。

しかし、その歴史的な意義から、主砲塔の一部は台湾の高雄市にある軍事博物館に展示され、丹陽の名とともにその栄光は今も語り継がれています

雪風(艦娘)へのインスピレーション

この章では艦娘としての雪風が生まれるにあたり、インスピレーションを得たであろう項目2選をご紹介します。

雪風のキャラクター性

雪風はその明るさと幸運さを周りにも振りまく艦娘です。

しかし、実際は数々の艦船の轟沈を見た史実から艦娘に生まれ変わった以上、「今度こそゼッタイに守りぬいてみせる」という正義感が非常に強いです。

雪風・雪風改の段階では、戦艦大和沖縄特攻(坊ノ岬沖海戦)の際、大和を沈めてしまい無傷で自らが生き抜いてしまったことを悔いている場面が見られていました。

しかし、雪風改二なり、髪に大和の桜飾りをつけているところから大和の意志を継いだ艦娘として成長した姿が描かれています。

しれぇー、しれぇーに聞こえる

司令(司令官)を呼ぶときに雪風はしばしばちゃんと言えず「しれぇー」と言ってしまうところがあります。

また、雪風と雪風改の様子がビーバーに見えることから、ビーバー雪風という愛称で一時トレンドとなったことがあります。

他の陽炎型より子どもっぽさを感じるのも雪風の愛くるしい一面かもしれません。

雪風の改二の意味は鎮守府(日本)への帰還

実際の駆逐艦丹陽は退役後、日本への返還が求められ実現一歩手前で老朽化で大破してしまい実現できませんでした。

日本に帰還が叶ったのは、舵輪だけでありました。

そのために本来喜ばしいことであったはずの返還式が、悲痛な空気に包まれたというエピソードがあります。

それだけ「望まれた雪風の帰還」、これを表現したのが雪風改二です。

奇跡の駆逐艦「雪風」、再び出撃す!

まとめ

雪風が改二になり「帰ってきました」というセリフを聞いて、不覚ながら私は泣いていました

私は「『雪風ハ沈マズ』―強運駆逐艦栄光の生涯」という本を読んで、雪風の思い入れがより強くなりました。

雪風のエピソードは他にもたくさんあります。

実は漫画家の水木しげる先生の復員輸送船であったエピソードなど)

もしよろしければ、みなさんも調べてみてください。

それでは、鎮守府でお会いしましょう。

↓もしよろしければ、著者の艦これYoutubeもご覧ください!!

ライター紹介

H.YAJIMA
フリーライター兼ラジオパーソナリティをしております。
今までお堅い記事ばかり書いておりましたので、自分の好きなものが書けることうれしく思います。ポケモン大好きで、ホラー弱めな体質です。

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