【太閤立志伝5DX】エンディングを出そう!! - 武士編三号:「石田治部少決戦譚、【敵は徳川】(承)」

さいしょ の あいさつ

皆様ご機嫌よう、【ハリマヤホンポ。】でございます。

今回は「【エンディングを出そう!!】(天下統一じゃない武士編三号)」の第二話、つまりは「石田治部少決戦譚、【敵は徳川】(承)」とさせていただきます。

さて、「破ノ前」こと「(承)」の内容でございますが、それはまあ以下の通りということで。

  1. P!! T!! P!! T!!
  2. 上杉共謀論は本能寺の変と同じなのか?
  3. 刎頸の交わり

読了目安時間はおおよそ3~4分と想定させていただきます、それでは、はじまり、はじまり~。

ユキムラちゃんにしごいてもらった後の佐吉さん

足軽と軍学が非常に向上しているが、この時の私は足軽隊で向かうと想定しており鉄砲技能を磨いておりませんでした(汗

皆様が攻略の際には、鉄砲技能を磨いておくことを強くおすすめいたします。

で、こんな感じで動いてまして……。

今でこそ徳川の横暴を糺すための義挙だと判明しておりますが、江戸期二百余年でだいぶ歴史はゆがんだ上に折角戦前である程度まで進んだ研究もGHQの焚書で消されましたからね、研究者も苦労したと思われます。

そんな愚痴未満はさておき、このイベントが発動することによってようやく関ケ原の戦いが発生いたします、時間を待ちましょう。

そして、時が過ぎて……

おおたに よしつぐ、と読みますが、つまりは佐吉時代からの石田三成との盟友で、その背景には斯様なエピソードがございまして……。

吉継は皮膚に病気を抱えていました。

あるお茶会でお茶の回し飲みをしていたときのこと、吉継の番のとき頬からうみが茶碗に一滴落ちてしまい、ほかの武将たちはどよめき、吉継は茶碗を回せなくなってしまいます。

そこに三成が、「吉継、わたしは喉が渇いて待ちきれない。早く碗を回せ。」というと、一気にそのお茶を飲み干してしまったといいます。

友人を助けようという想いからの行動でした。

滋賀県の広報から引用いたしました。

……ああ、実際の所これが事実かどうかは非常に怪しいものではございますが……。

前にも書いた通り「太閤立志伝」というゲームは史実のシミュレーターというよりは「時代劇シミュレーター」であるので、こういう逸話も取り込んでいるのだと思われます。

そして、大谷吉継との会話がこんな感じでありまして……。

ちなみに、なんで大谷さんが白頭巾を顔に覆っているのかは、上のエピソードが理由らしく。

つまりは、白頭巾なのではなく包帯というわけですね。

そして、上杉家と石田さんの仲が良いこともあって、石田さんにも同行するように頼んだわけですが……。

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ところで石田さんはなんで上杉家と謀ったのに真田家とは謀らなかったんでしょうかね?

その辺りが、なんというか上杉共謀論は不可解な点があるわけですが。

それはそれとして、石田三成が徳川家康に挑むというのは、いわば駆逐艦が戦艦に挑むようなもの。

当然、止めに入る大谷さん。

「佐吉」という呼び方については、このすぐ後に説明が入りますが、幕末では割と流行りの通称だったらしくうちの高祖父も「佐吉」が戸籍名だったらしいです。

とまあ、それはさておき、先程の駆逐艦と戦艦のたとえはどういうことかと言いますと、石田三成さんの石高は大体近江の半分なので多くても40万石くらい。

対する徳川家康の石高は関八州全域な上に、その関八州の旧主は北条氏という戦国時代のチート内政家なので当然肥沃な上にそもそも広いので……大体250万石くらいでしょうか。

この当時の石高というものはそのまま軍事力に結び付く(何せ、人口を養うには食べ物が要りますから)ので、だいたい100万石の今川義元が養えた兵数が仮に25千人とすると、250万石は6万人以上です。

対する40万石はどんなに頑張っても1万人も行けばいい方でしょう。

ランチェスター曰く、「6倍差の相手にはどう頑張っても純軍事的には無意味」だそうで、故に上で「馬鹿なことを」と言ったわけですな。

ちなみに、石田三成を「佐吉」という例に基づいた場合、大谷吉継は「紀之介」というそうで。

あー、「幼名」っていうのは、元服する前のあだ名みたいなもんです。

三英傑でいうところの「吉法師(信長)」、「日吉(秀吉)」、「竹千代(家康)」がそれに当てはまります。(尤も、秀吉の場合は諸説ある)

他にも有名どころでいえば上杉謙信の「虎千代」、北条氏康の「伊勢千代」、前田利家の「犬千代」などがございますかね。

内府みたいに尖っては~(何歳だよオメー)

あー、「内府」っていうのは「内大臣」の略称で、この場合は徳川家康のことを指します。

ちなみに読み方は「ないふ」ね。

具体的に何をする役職かと言えば、左大臣の代理である右大臣のそのまた代理ですね。

少し歴史に詳しい方は「太政大臣はどうなるのだ」って答えそうですが、太政大臣は江戸幕府の大老同様に、非常設の役職なので、平常時にトップなのは左大臣なんです。

「小牧の役」っていうのは、「小牧長久手の戦い」のことで、「役」というのは官軍が戦った戦闘行為の総称です。

内府=この場合家康なので、それが勝った小牧地域での戦いというと……、まあ、そういうことです、この場合の太閤殿下っていうのは秀吉のことでして。

ちなみに、「太閤」というのは関白を息子に譲った人間のことなので、歴史上たくさんいるんですが、普通は豊臣秀吉のことを指します。

なので、太閤立志伝なわけですね!(よーやく題名に触れられた)

まあ1600年当時豊臣秀頼は8歳ですからね、「幼い」と言っても差支えはないかと。

だから秀次とかを生かしておけとあれほど……。

ちなみに、「秀次って誰よ?」に対しては、「太閤立志伝にも主人公として出てくるよ」と返しておきます。

一応、次の画像が「秀次」さんですね。

決して目立ったパラメではないが、技能が割と優秀なのとイベントのキーマンなのが主人公の理由か。

YouTubeには載っていませんが、ニコニコ動画の「秀次事件」が詳しく知れる動画かと心得ます(URL等が張れないのは、YouTubeじゃないからですね)。

いわゆる、勝者の歴史改竄の被害者、というのが大枠ですね。

そして、和睦を薦め始める大谷さんなんですが……。

……あー、大谷さん? ……残念ながら、事態はもう「手遅れ」でして。

まあ、諸説はあります、一応この世界では石田三成の忠義に呼応して上杉家が決起した、という形になる関係上、和睦なんてその発起人が使者として出向けるはずもなく。

故に、そういうことです。

……そりゃ、できないよね。

だって、ねえ……。

できるわけ、ありませんよね。

なんでかっていいますと……。

あー、作中にツッコミ役がいてくれると楽だわ(殴

なんで、それ(上杉と徳川の和議)ができないかは、まあ言う必要もありませんよね(汗

まあ、つまりは、そういうことです。

ワシじゃよ、新一……(元ネタコラ画像じゃねえか

と、ここでネタバラシ! ……というのがないから歴史ってコワイ!(なしてスレーヤーか

ちなみに、この影響なのか否かは不明ですが、直江兼続さんは「車懸」と「毘沙門天」を所持しています。

とはいえ、拠点主なのでラーニングはできませんが(汗

紀之介さん、どういう感情だったんでしょうかね?(まあそもそも時代劇であって史実ではないと言われればそれまでですが)

まあ、無謀なのは間違いないですよね。

せめて真田とか、真田とか、あと真田とかに相談していればまだ、いやそれでも良くて六四、精々七三か?

まあ、史実の話はさておいて(個人的には、関ケ原の戦い共謀論は本能寺の変黒幕論と同程度にいかがわしいとは思っている)、大谷さんの気持ちもまあ、むべなるかな。

ただ、やんぬるかなもう事態は逡巡のターンを終えておりまして……。

匙は投げられた。

???:それは賽では……いや、あながち間違ってはございませぬか。

??:史実故致し方なしと申せましょうか。

??:ま、俺達は関係ないんだけどな。

むしろこれで決心が変わってたらギャフンENDですよ、ええ。

どうする吉継(ぉ

普通ならここで密告に走るでしょうし、ぶっちゃけそれが処世術としては正解なんでしょうが……。

だが、大谷吉継が選んだ道は違った。

そして彼は美談を遺した。

震旦に「刎頸の交わり」という故事成語がありますが、震旦と違い本当にそれをやってのけるのが本朝の善きところ、とでも申しましょうか。

……本当に善きところかどうかは、まあさておくとして(ぉ

賽の目の行方は……果たして。

 さいご に ひとこと

戦ってない! 関ケ原の戦い始まってないよ!

……面目ねえ(泣

当初、「破」でどうにかして関ケ原の戦いないしは富士川の戦いまで繰り越す予定でして、録画データも一応そこまでは撮影しているのですが……。

予想以上に原稿が膨らみつつあるため、一旦持ち越します。

都合、「序急」や「守離」ではなく、「起転結」となりましょうか。

とはいえ、リニューアル前みたいな長期放送には原則しない予定なので、ロケは長くなっていますが、読者様方には気軽に読めるように、との原則を崩さずにお送りしたいと思います。

と、いうわけで、そろそろ時間と相成りました……また、お越しくださいませ。

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