【ウマ娘】いまさら聞けない!?ウマ娘の元ネタ解説【マルゼンスキー編】

ぶっ飛んだキャラ設定は史実通り!? マルゼンスキーとはどんな馬だったのか

トレーナーのみなさん、ウマ娘は楽しんでいますでしょうか?

1日2育成を目標にしている筆者は、ようやくチーム競技場がCLASS6に落ち着いてきた今日このごろです。

突然ですがウマ娘といえば、実在していた競走馬を元ネタにしているだけあって、ゲーム内のところどころに散りばめられた凝った(凝りすぎた)元ネタが人気のひとつですよね。

この記事では、いわゆる攻略情報ではなく「ウマ娘の元ネタ」にスポットを当て、ひとりのウマ娘を深堀していくことを目的としています!

今回ご紹介するウマ娘はマルゼンスキーです!

彼女の元ネタとなった競走馬は一体どのような馬だったのか解説していきます。

  1. 元馬「マルゼンスキー」の最強すぎるエピソード
  2. 活躍時代ならではのオンリーワンなストーリー
  3. 後輩ウマ娘との意外な関係性

ウマ娘初心者の方やまだ始めていない方、競馬に詳しくない方はこの記事を読めば、5分でマルゼンスキーについてちょっと語れるようになる内容となっております!

また、因子周回・チャンミ育成にお疲れの方や、競馬ガチ勢の方も「うんうん、そうそう」となる内容となっておりますので、ぜひ最後までご覧ください!

最速の二つ名「スーパーカー」

桁違いのスペック!!

実馬が活躍した1970年代、日本はスーパーカーブームとなっており、他馬を圧倒する走り異次元の走りから、普通とは違うエンジンを積んでいるスーパーカーと呼ばれていました。

どれくらいすごかったかというと、

・デビューから8戦8勝の生涯無敗!

・8レースの合計着差が61馬身!

・強すぎて、他の馬主が出走辞退!

・実は本気のレースが無い!?

この他にも数多く伝説を残していて、怪我による引退まで、圧倒的な走りで駆け抜けています。

二つ名獲得の条件

マルゼンスキーといえば8戦全勝の怪物として、長年にわたり最強馬の一角と呼ばれています。

そんなマルゼンスキーですが、モデルになった馬が伝説的な活躍をしすぎたため、二つ名の獲得がとても難しくなってしまっています。

「無敗で8連勝以上し、平均7バ身差以上で勝利する」

という、アプリ内最難関の一つとなっているのがマルゼンスキーの二つ名獲得条件です。

しかし現実のレースだと8レース61馬身なので、0.6バ身ほど史実より条件が軽くなっています。

史実では馬主の意向プラス騎手が手を抜きすぎたレースでハナ差、他馬主に配慮して走ったレースでの1/2馬身差もあったので、残り6レースで60馬身差以上を出しています。

しかも足があまり丈夫ではなかったため本気で走ったレースはないとのこと。

本気では知らずこの成績……、史実の方がムリゲーとは、まさに怪物の所業ですね。

強すぎてレースが成り立たない!?

レースの出る度にすごい着差をつけていたマルゼンスキーですが、他馬の陣営からすると、ある問題が発生してしまいます。

それは、勝てないだけならまだしも1着と差がつきすぎると、「タイムオーバー」となってしまい、一定期間レースに出られないというペナルティが課されるという問題です。

実際に「マルゼンスキーが出る」ということで、ほか陣営の馬主が次々と出走を辞退してしまい、レースが開催されるギリギリの5頭での出走となってしまったことがありました。

ギリギリ成立したレースでは「レースには出すから手加減してくれ」とほかの馬主から要請があって、1/2馬身差で勝利するというマルゼンスキーとしては「流して走った」レースとなってしまいました。

ウマ娘の育成ストーリー内でも、例年10人でのレースとなるスプリングステークスが、5人立て(5人でのレース)になってしまうというイベントが発生します。

最難関!! ジュニア期レースでの特殊実況演出

これがマイルの着差!?

朝日杯FS(ジュニア級12月前半)で聞くことのできる

「この差はちょっと縮まらないかもしれません!」

という実況が、アプリリリースから1年近く経過してようやく判明した時は、ユーザーの間で話題となりました。

史実でも1976年の朝日杯3歳ステークス(朝日杯FSの当時の名前)にて、序盤から先頭を走り続け、最終コーナーからは追いつかれるどころか後続を引き離す圧倒的な走りで、実況のセリフもその際の言葉を再現しています。

ちなみにリリースから1年近く判明に時間のかかった理由ですが、

「最終直線で2着と10バ身差以上つけて先頭」

という、ジュニア級だとあまりに厳しい条件だったためです。

二つ名同様、とにかく難易度が高いウマ娘ですね。

勝負服デザインの元ネタ(個人的な見解あり)

マルゼンスキーの勝負服は、赤を基調としてところどころに黄色のラインが入ったデザインです。

これはほかのウマ娘の勝負服にも言えることですが、基本的にはモデルになった馬に騎乗していた騎手の服装が元となっています。

メインカラーの赤に関しては、マルゼンスキーの二つ名「スーパーカー」と、彼女の愛車の真っ赤なランボルギーニカウンタック(通称タッちゃん)にも通じる、まさにマルゼンスキーのイメージカラーとなっていますね。

改造セーラー服が流行していた1970年代を思わせる胴の短い上着も特徴的と言えるでしょう。

もしかしたら、スケバン風のロングスカートのデザイン案もあったかもしれませんね。

これは元ネタかわからず個人の感想ですが、真っ黒なリボンは、鹿毛の中でも所々黒かった馬体やたてがみ、尻尾を思わせとても綺麗です。

唯一の70年代馬

他者を圧倒するセンスの古さ

プレイアブルキャラとしては、他キャラより圧倒的に史実の活躍年代が古いため、(ゲーム内では同じ年代のはずですが)死語を連発したり、趣味嗜好がバブル時代、あるいはさらに前のものだったりします。

ほとんどのキャラクターがそのバブリーな言動を理解できていませんが、不思議とたづなさんには通じるようです。

これは元馬マルゼンスキーの活躍時代を見てのとおり、ほかのウマ娘のモデル馬よりも、かなり古い年代が現役時代だったことが由来しています。

ただ、流石にゲーム内ではマルゼンスキーも同年代となるため、バブル時代のセンスは彼女の母親の好みに影響を受けまくってしまった結果ということになっています。

寮以外で一人暮らし

ほとんどのウマ娘は「美浦」か「栗東」の寮で暮らしていますが、マルゼンスキーは一人暮らしです。

なぜマルゼンスキーだけが寮に入っていないのか、それにもちゃんと元ネタがあります!

史実では関東の馬は美浦、関西は栗東とそれぞれのトレーニングセンター(トレセン)に所属して調教されます。

それがウマ娘では寮の違いとして反映されているわけですが、マルゼンスキーが現役の時代には関西の栗東トレセンしかありませんでした。

関東の馬は、東京競馬場や中山競馬場など関東の競馬場に併設される厩舎に所属していました。

マルゼンスキーは関東の馬だったので、東京競馬場の厩舎で調教を受けていたようです。

この部分が「マルゼンスキーは寮に入らずに一人暮らししている」という設定に生かされているというわけです。

ちなみにマルゼンスキーが引退した翌年から美浦トレセンは始まっていて、関東の競馬場にいた馬は美浦のトレセンに所属を変更しています。

怪我で引退することがなかったら、超絶珍しい「引越しイベント」を見ることができたかもしれません!

これはマルゼンスキー解説ではないんですが、ウマ娘世界の中央トレセンは東京競馬場付近にありますよね?

マルゼンスキーの同期以前の中山競馬場所属の馬が実装された場合は、千葉から毎日通うのでしょうか? すごく見てみたいです。

サイゲ様、黒い刺客もいることですし、緑の刺客もぜひ実装お願いします! 長距離通学と引越しの2イベント分見れますので。

悲願の日本ダービー、出走は「大外」から

マルゼンスキー育成で日本ダービーに出ると、「100%」大外からスタート

これは当時の競馬のルールで、外国産馬や持込馬は大きなレースに出られないという決まりがあり、それに該当するレースである日本ダービーに出走できなかったというエピソードが元になっています。

それだけ、目標レースから外されるだけかとも思いますが、もう一つのエピソードが関係してきます。

それは、マルゼンスキーの騎手が「大外スタートでいい、賞金はいらない、インコースに入らないからマルゼンスキーの実力を知るためだけに走らせてほしい」という旨のコメントを残していたことです。

史実では走ることが叶わなかったレースを走れるというゲームならではの粋な計らい、制作陣の演出が光る仕様です。

また、他にも大きなレースに出られなかったことや、ただ走らせてほしいという騎手や馬主やファンの思いから、マルゼンスキーのとにかく走ることが好きで大きな実績名声などには興味がないというキャラ付けになったのだと思います。

産駒から見るマルゼンスキー本来の脚質

先行、差し説

マルゼンスキーの血統を持つ馬は、ゲーム内でも数多く実装されていますが、そんなマルゼンスキーの子孫たちのステータスについて違和感を覚えた方は多かったのではないでしょうか?

その違和感の正体は「脚質」です。

マルゼンスキーの逃げ適正がAであることに対して子孫たちに逃げ適正Aはいません。よくてBどまりです。

ここで一旦史実の話に戻りますが、マルゼンスキー現役時代はスタートからハナ(先頭)を譲らないいわゆる逃げ切りのレース展開をしていました。

ただこれは、桁違いの身体能力を持つマルゼンスキーのスピードに誰も追いつけず、結果的に全レース逃げのような走りで勝ってしまっていただけだというのです。

なぜならずっと逃げていたのに、最終直線で追いつかれるどころか後続をさらに突き放してゴールしてしまうからです。

レース終盤でスピードを上げる戦法といえば、「差し」です。

ここでアプリ内の子孫たちの脚質を見ていきましょう。

産駒(子供世代) サクラチヨノオー《先行

孫世代 ライスシャワー《先行》、ウイニングチケット《差し》、メジロブライト《差し、追込》、スペシャルウィーク《先行、差し

曾孫世代 カレンチャン《先行

見事に終盤追い込み型の脚質が多い結果となっています。

もちろん子孫が生まれるまでの間にいろいろな血が入った結果とも言えますが、逃げ0というのはなかなか無い事なのではないでしょうか。

「常に先頭を走りたい」という性格も含めると考察は複雑化しますが、身体的な適性はほぼ間違いなく「差しあるいは先行」であったものと考えることができます。

グラスワンダーとの関係性

怪物2人!?

マルゼンスキーを育成していると、よくスペシャルウィークと一緒にグラスワンダーが出てくるシーンを見る方は多いのではないでしょうか。

スペシャルウィークは史実で孫にあたるので納得ですが、グラスワンダーとは血縁関係はありません。

ただスペシャルウィークと仲が良いだけという理由で出てきているわけでは、当然ありません!

2人の縁は意外と多く、同じG1級レースをレコードタイムで制覇、(※細かくは違いますが)同じアメリカ産、同じ異名を持ち、時代を超えて強さを比較された関係性です。

まずは、2頭とも朝日杯3歳ステークスをレコードタイム更新という形で優勝しており、その走りから「怪物」、グラスワンダーに関してはマルゼンスキーの再来と叫ばれ「怪物二世」とも呼ばれました。

グラスワンダーのレコード勝利時は「マルゼンスキーとグラスワンダーのどちらが3歳馬最強か?」という議論も白熱しました(強さの単位を「ポンド」で表す評価があるのですが、そこでの2頭の差は1ポンド分でした)。

しかし、そんな最強の2頭でしたが、「純粋な日本馬ではない」ことで、日本ダービーなど格の高いレースには出走できなかったというところも似ています。

史実でそんな事があり、2人はただの先輩後輩というだけでなく、「運命的な何かを感じる」関係性になっているようです。

※マルゼンスキーは、アメリカで妊娠中だった母馬を日本に連れてきて生まれた「持込馬」で、グラスワンダーは、アメリカで生まれて日本に連れてきた「外国産馬」です。

さいごに

史実のマルゼンスキーは、走っていた時代に恵まれず出走できなかったレースが多くありました。

同じレースに出て軽くあしらった馬が後に菊花賞を勝利したり、そもそもレコードタイムもかなりの間破られませんでした。

時代が変わりルールが変われば、マルゼンスキーにもライバルがいたのではないかと思うと惜しい限りです。

しかし、マルゼンスキーが出てこなければ、そもそもルールが変わらなかったかもしれないという、数奇な運命の馬とも言えます。

勝つためではなく、楽しむために走るウマ娘「マルゼンスキー」

彼女の魅力の一端でも知っていただけたら幸いです!

さいごまでご覧頂きありがとうございました!