【ウマ娘】競走馬から見ていくウマ娘解説 マルゼンスキー編

君も見にきたんでしょ?異次元の走り

ウマ娘、このゲームが人気な理由、それは実際に存在したウマの史実を忠実にストーリーやキャラクターに落とし込んでいることです。

現在、大人気コンテンツとなりゲーム・アニメ・映画も大ブーム、ですが、意外と知らないこともまだまだ深いハマると出てこれない通称「ウマ沼」がそこにはあります。

その沼にあなたをハマるきっかけの記事として、実際に現存する競走馬とウマ娘をレビューします。

今回はマルゼンスキーについてご紹介します。

  1. ウマ娘でのマルゼンスキー
  2. 全勝したマルゼンスキー
  3. インスピレーション「スーパーカー」
  4. ウマ娘のマルゼンスキーの育成方法

≪この記事は3分程度で、読むことができます!!≫

なおこの記事は前のトウカイテイオーの記事を読んでから読んだ方がより楽しめます。

お時間ある方はリンク先からどうぞ。

【ウマ娘】競走馬から見ていくウマ娘解説 トウカイテイオー編

今さら聞けない、ウマ娘って?

ウマ娘は、Cygamesが開発したスマートフォン向けの育成シミュレーションゲームおよびメディアミックスプロジェクトです。

プレイヤーは「トレーナー」として擬人化された競走馬である「ウマ娘」を育成し、レースで勝利を目指します。

ゲームには実在の競走馬をモデルにしたキャラクターが登場し、それぞれが固有のストーリーとスキルを持っています。

また、アニメやマンガ、ライブイベントなども展開されており、多くのファンを魅了しています。

ゲーム内での育成要素、レース戦略、キャラクター同士の関係性が楽しめる点が人気の理由の1つです。

マルゼンスキーはどんなウマ娘?

上のマルゼンスキーは原案のものです。

原案時に比べると現在のマルゼンスキーはよりお姉さんな感じに思えます。

この章ではマルゼンスキー、(通称マルゼン姉さん、ここ大事!!)がどんなウマ娘なのか、ご紹介します。

誕生日5月19日
身長164cm
体重理想的な仕上がり
スリーサイズB92・W58・H88

「今日の走りもチョベリグー!お立ち台までイケイケよ♪」

颯爽としているが、どこか言葉遣いが古いお姉さん。

走りに純粋な歓びを感じるスピード狂で、道路では愛車のスーパーカーでレース場では自らの脚でかっ飛ばす。

圧倒的なポテンシャルを持ちながらも偉ぶることなく、皆から慕われている。

現実のマルゼンスキーはどんな競走馬?

この章では競走馬のマルゼンスキーについて解説します。

概要

マルゼンスキーは、日本の競走馬であり、1970年代後半に活躍しました。

1974年に生まれ、1977年のデビュー戦から圧倒的な強さを誇りました。

しかし、当時の管理上の理由から、クラシック三冠への挑戦は叶わず、出走できないまま引退しました。

引退後は種牡馬としても成功し、多くの名馬を輩出しました。

その抜群のスピードと力強さは、今もなお多くの競馬ファンの心に残っています。

マルゼンスキーは、日本競馬史において特筆すべき存在であり、その影響力は計り知れません。

競走馬としての評価

マルゼンスキーは、日本競馬史において非常に高く評価される競走馬です。

彼の圧倒的なスピードとスタミナは、デビュー戦から引退まで一貫して見られました。

1977年にデビューし、無敗のまま引退した彼は、その競走成績から「伝説の無敗馬」として称賛されました。

しかし、クラシック三冠への挑戦が叶わなかった点は残念です。

持ち込み馬という特殊な事情から、日本のクラシック競走への出走が許されませんでした。

それでも、その能力の高さは疑いようがなく、同世代の馬たちとの比較でも際立っていました。

引退後は種牡馬としても成功し、多くの優秀な後継馬を輩出しました。

血統は今も続いており、日本競馬に多大な影響を与えています。

競走馬としての成績だけでなく、種牡馬としての貢献度も含めて極めて高く、競馬史に名を刻む名馬として語り継がれています。

なぜマルゼンスキーはクラシックに出れなかったのか

マルゼンスキーがクラシック競走に出走できなかった理由は、「持ち込み馬」であったためです。

「持ち込み馬」とは、海外で生まれたが日本に輸入された馬を指します。

具体的には、マルゼンスキーはアメリカで生まれ、その後日本に輸入されました。

当時の日本のクラシック競走(皐月賞、日本ダービー、菊花賞など)は、日本国内で生まれた馬しか出走できないという規定がありました。

そのため、どれだけ優れた能力を持っていても、マルゼンスキーはクラシック競走への出走資格を持つことができませんでした

この規定により、マルゼンスキーはクラシック三冠への挑戦が叶わず、その実力をクラシックの舞台で発揮することができなかったのです。

それでも圧倒的なパフォーマンスと無敗の成績は、多くのファンと専門家から高く評価され、競馬史において特別な存在として記憶されています。

マルゼンスキー(ウマ娘)へのインスピレーション

この章ではウマ娘としてのマルゼンスキーが生まれるにあたり、インスピレーションを得たであろう項目3選をご紹介します。

 マルゼンスキーの競走馬としての圧倒的なスピードと実績

マルゼンスキーは、その圧倒的なスピードと素晴らしい競走成績で知られています。

1977年のデビュー戦から引退まで無敗であり、そのスピードは他の追随を許さないものでした。

これにより「伝説の無敗馬」として称賛されました。

特に、デビュー戦で見せた他馬を大きく引き離す圧倒的な走りは、多くの競馬ファンに深い印象を与えました。

このようなスピードと実績は、ウマ娘のキャラクターとしてのマルゼンスキーに反映されており、ゲーム内でも彼女は速さと強さを誇るキャラクターとして描かれています。

マルゼンスキーのキャラクター性

マルゼンスキーは他のウマ娘と比べるとひと回り古い時代の競走馬と言えます。

当時の日本は外車ブームもあり持ち込み馬だったマルゼンスキーは「スーパーカー」と呼ばれました。

戦績は8戦8勝でしたが、朝日杯をスーパーレコードで勝ったことと合計で61馬身差をつけたということ以外は余り語られることはありません。。

なぜならば、当時の日本競馬は「世界に追いつけ」をスローガンに海外の優秀な血統を輸入していましたが、当時の規定により出場レースは全体の12%しかなく出場数が圧倒的に少ないことが挙げられます。

1970年代は、高度経済成長を遂げ、文化やライフスタイルが大きく変わり始めた時期でした。

マルゼンスキーが活躍していたこの時期の雰囲気などをキャラクターに反映させることで、マルゼンスキーのお姉さん感が演出されています。

マルゼンスキーの血統(意志を継ぐウマ娘)

マルゼンスキーはその血統が他のキャラクターとの関係性を形成しています。

例をあげれば、スペシャルウィークサクラチヨノオーが挙げられます。

スペシャルウィークは、日本競馬史において名馬として知られています。

具体的には、スペシャルウィークの母方の祖父がマルゼンスキーです。

このため、ゲーム内でもスペシャルウィークとの間には血統的なつながりが強調されており、親近感や尊敬の念が描かれています。

またサクラチヨノオーの父であるサクラユタカオーは、マルゼンスキーの直系の子孫です。

これにより、サクラチヨノオーとマルゼンスキーの間にも血統的な関係が存在します。

ゲーム内では、この血統のつながりがキャラクター同士の絆や物語の展開に影響を与えています。

このように血統が、他のウマ娘との関係性やストーリーに深みを加える重要な要素となっています。

マルゼンスキーの育成方法

私自身が育成したマルゼンスキーは画像の通りです。

根性の数値が少し足りなかったです。

育成方法のコツを簡単にお伝えします。

トレーニング方法

マルゼンスキーはスピードの適性が高いキャラクターであるため、これらのステータスを中心に強化することが重要です。

まず、育成開始時からスピードトレーニングを重点的に行いましょう。

初期段階ではスタミナも少しずつ上げていきましょう。

また、パワーも補助的に強化し、レース中の加速や追い越しをスムーズにすることが求められます。

スキル選択も重要です。

マルゼンスキーには先行作戦が適しているため、「逃げ」向けのスキルを習得しましょう。

特に、中盤から終盤にかけてのスキルを充実させることで、レース終盤でのスパートを決めやすくなります。

レース選択も重要です。マルゼンスキーの適性距離に合ったレースを選び、勝利を積み重ねていくことで、ファン数や評価点を上げていきます。

まとめ

「ナウいヤングにバカウケ中のイケイケスポット」

「めんごめんご~」

「な~んて、うそぴょん♪」

すごい時代を感じる言葉がたくさん出てきます(笑)。

みなさんも育成時に聞いてみてください。

次回はフジキセキを紹介します。

ライター紹介

H.YAJIMA
フリーライター兼ラジオパーソナリティをしております。
今までお堅い記事ばかり書いておりましたので、自分の好きなものが書けることうれしく思います。ポケモン大好きで、ホラー弱めな体質です。

私のラジオはYoutubeにて「見せ会アンサンブル」にて検索どうぞ!!
チャンネル名は「【桔梗LABO】YAJI」です。
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