【Wo Long】江東の虎 孫堅について紹介※ネタバレ注意!!

江東の虎

これまで黄巾の乱を主導した三兄弟の紹介記事を書いてきましたが、今回から新たな英雄を紹介していきます。

今回紹介するのは孫堅です。

彼は勇猛で闊達な人物であり、江東の虎と呼ばれました。

※この記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

  1. 江東一帯の戦いで活躍し、江東の虎と呼ばれた。
  2. 主人公と共に戦い、結義の証として守護霊「白虎」を授ける
  3. 丹薬の矢によって妖魔化、主人公らとの戦いの末に元に戻るが死亡する。

この記事は5分程度で読み終わりますので、最後までぜひご覧ください!

Wo Long の孫堅

張角討伐

曹操と軍議を行う孫堅
曹操と軍議をする孫堅

Wo Long の孫堅はメインストーリー黄天の妖砦で初登場します。

孫堅は廣宗(広宗)に籠る張角討伐のため、曹操とどのように攻めるか思案します。

十万の黄巾党に対し、廣宗を攻める官軍は二万。

曹操は陽動部隊が大軍を引き付けている間に別動隊が奇襲する作戦を提案します。

それに対し、孫堅は張角が別動隊への備えを残している可能性があると懸念します。

そこに主人公と紅晶が現れます。

紅晶は、廣宗へと続く抜け道があることを教え、主人公を伴って廣宗を奇襲することにしました。

わずか二人で張角のもとへ辿り着いた主人公と孫堅は、追い詰められて妖魔化した張角を討ち果たすことに成功しました。

張角討伐後、二人は張角に丹薬を授けた老仙と接触します。

しかし、老仙は禍々しき龍に乗って去ってしまいました。

孫堅は共に戦った主人公を称え、神獣「白虎」の玉を分け与え、結義を交わしました。

反董卓連合

兵を奮い立たせる孫堅
孫策の奮戦を見た兵らを、孫堅は奮い立たせる。

次に孫堅が登場するのは、曹操と袁紹によって結成された反董卓連合の時です。

丹薬を手に入れて洛陽を占拠した董卓討伐のため、反董卓連合軍に加わります。

虎牢関で連合軍と董卓軍が激突する中、孫堅の長男の孫策は、董卓軍の華雄を討つために敵中に突撃します。

「孫家の猛勇、知らしめる時は今ぞ!続けぃ!!」

孫堅は兵士を奮い立たせました。

主人公も連合軍として参戦したとき、孫堅は董卓軍の徐栄と交戦していました。

主人公の加勢によって徐栄を退けると、孫堅はさらに進軍します。

しかし、虎牢関を守備する華雄に孫策が敗れたことで、孫堅たちの部隊の進軍は止められてしまいました。

その後主人公が華雄を討ち、虎牢関の奥にいる呂布も退けたことで連合軍は洛陽へと進軍することができました。

迫る危機

洛陽を後にする孫堅
孫堅は急用のため連合軍を離れる

洛陽に雪崩れ込んだ連合軍が見た光景、それはまさに地獄でした。

董卓は洛陽を放棄し、大量の妖魔を都に放ちました。

洛陽の民は妖魔に蹂躙され、都は火の海と化していました。

袁紹は焼ける都を見て呆然と立ち尽くしますが、孫堅は急用ができたと言い、その場を立ち去ります。

主人公と劉備は都を救うため、妖魔を掃討します。

その後、主人公のもとに孫堅からとある報がもたらされます。

洛陽にある五色に光る井戸に貴重品が眠っている可能性があるとのことです。

主人公は洛陽の井戸から伝国の玉璽を見つけました。

玉璽は中国の歴代皇帝が受け継ぐ印のことで、皇帝の象徴ともいえるものでした。

そこに孫堅が現れ、主人公は玉璽を孫堅に預けました。

しかし、明らかに孫堅の様子はおかしいです。

完全に怪しいのに主人公は玉璽を渡しちゃいました。

吼える波濤

妖魔と化した孫堅
孫堅は白虎の如き妖魔と化す

洛陽での一件の後、荊州の襄陽という場所で事件が起こります。

黄巾の乱でも裏で糸を引いていた老仙が、孫策の妻である大喬を拉致したのです。

孫堅はいち早く敵地でもあった襄陽に単身で乗り込み、大喬を助けようとしました。

老仙は大喬を人質にして、孫堅に手を組むよう要求したのです。

主人公が見つけた玉璽を預かったのも、孫堅に化けた老仙でした。

孫堅の息子である孫策、孫権は父と大喬を救うため、主人公を伴って襄陽へと向かいました。

しかし、孫堅は丹薬の矢を背中に複数受け、白虎のような姿の妖魔に変貌してしまいました。

そこに駆け付けた主人公たち三人は、暴走する孫堅と戦うことを余儀なくされます。

戦いの末、孫堅を止めることができた三人。

孫堅は人の姿に戻りますが、その命は尽きようとしていました。

孫堅は最期に二人の息子に孫家の未来を託し、果てました。

主人公にとっては、初めて仲間を失った経験となったのです。

息を引き取る孫堅
孫堅は息子らとの戦いの末、息を引き取る。

正史の孫堅

孫堅との結義

ここからは、実際の三国志の孫堅について紹介します。

字は文台

揚州呉郡富春県出身

永寿元年(155年)~初平3年(192年)?

頭角を現す

孫堅は春秋時代の兵法家で孫子の名で知られる孫武の子孫ともいわれています。(ややこしい文面ですみません)

17歳のある時、海賊の略奪行為を見た孫堅は、あたかも大軍を率いる将の如く振る舞って海賊を追い払いました。

その後は江東で起こる反乱の鎮圧で活躍し、いくつかの県の県丞(県の長である県令に対し、県丞は副官に当たる)に就任します。

184年、黄巾の乱が起こると、孫堅は官軍の朱儁の配下として黄巾党の波才の撃破や黄巾党が籠る宛城の攻略で活躍します。

186年、韓遂が涼州で反乱を起こすと、董卓を指揮官として鎮圧に向かいました。

後に指揮官が張温に交代すると、董卓は軍規違反ばかり起こすようになり、孫堅は立腹します。

孫堅は張温に董卓を罰するよう進言しますが、董卓を必要としていた張温に退けられました。

この時に董卓は孫堅を憎むようになり、両者に決定的な溝が生まれたのでした。

董卓を圧倒する

董卓が洛陽で実権を握るようになると、袁紹が諸侯と共に董卓を討つため挙兵しました。

しかし、実際の所は董卓との戦に積極的だった者は少なく、孫堅と曹操くらいでした。

孫堅と曹操は、董卓軍の徐栄と戦いますが、二人とも徐栄に敗れてしまいます。

しかし孫堅は敗残兵を集めて、司隷河南尹梁県の陽人に駐屯します。

陽人を攻める董卓軍の一人であった呂布は、指揮官の胡軫と折り合いが悪く、呂布がたびたび虚言を吹き込んだことで董卓軍は浮足立ちます。

孫堅は董卓軍の隙を突き出撃、董卓軍の将の一人、華雄を討ち取ることに成功しました。

これにより形勢不利となった董卓軍は、都を焼き払って長安に撤退しました。

洛陽に入った孫堅は、董卓軍に荒らされた皇帝たちの陵墓を修復しました。

その最中に伝国の玉璽を見つけたとされています。

不運な最期

董卓との戦が終わると、合軍を統率した袁紹、そして当時孫堅の主でもあった袁術が豫洲を巡って対立します。

諸勢力も袁紹側と袁術側に別れ、連合は完全に瓦解しました。

191年、袁術は袁紹と同盟関係にある劉表を孫堅に攻撃させました

孫堅は荊州の襄陽を目指し、劉表配下の黄祖を打ち破りました。

勢いに乗った孫堅はそのまま襄陽を包囲しましたが、油断していたところを黄祖の部下に射られて死亡しました。

享年37。

孫堅の死後は、長男の孫策が後を継ぐことになりました。

ちなみに黄祖は Wo Long のメインストーリー「吠える波濤」の侵攻 NPC として登場します。

Wo Long のストーリーとは深くかかわらないので、倒すと討ち取った扱いになります。

三国志演義の孫堅

虎の如き男

三国志演義の孫堅も海賊の討伐や反乱の平定で活躍し、名を上げました。

孫堅は広い額、大きな顔、虎のごとき体、熊のごとき顔という立派な容姿であり江東の虎と名づけられました。

反董卓連合として董卓が放棄した洛陽に入ると、孫堅は玉璽を発見します。

このことを袁紹に問い詰められますが、孫堅はすぐに洛陽から引き上げてしまいます。

Wo Long では孫堅に化けた老仙に渡りましたが、実際は孫堅本人が保有しました。

孫堅も玉璽を見つけたことで、そこはかとない野心が芽生えたのでしょうね。

倒れた旗竿

孫堅が帰途に就く中、袁紹から密命を受けた劉表が孫堅を襲撃します。

孫堅は助かったものの、多くの兵を失う損害を出します。

その後、袁紹と不仲になった袁術から、孫堅は劉表討伐の命を受けます。

劉表に個人的な恨みも持っていた孫堅はこれを請け、襄陽に向かいます。

劉表配下の黄祖、蔡瑁を蹴散らし、ついに襄陽を包囲します。

しかし、包囲中に孫堅軍の『帥』の旗が折れ、それを見た配下の韓当が不吉だと進言しました。

孫堅は気にすることなく包囲を続けましたが、黄祖配下の呂公が放った矢を受け、さらに落石に押しつぶされて死亡しました。

さいごに

今回は Wo Long の登場人物孫堅について紹介しました。

Wo Long の孫堅はストーリーの序盤で味方となり、あまりに早すぎる最期を迎えます。

廣宗や虎牢関で共に戦い、強敵を倒してきた仲間と言える存在でした。

ストーリーでは初めて主人公が仲間と言える人物を失った経験でもありました。

筆者は真・三國無双もやっているため、孫堅が早い時期に亡くなることは大体知っていたものの。

本作での悲劇的な最期には衝撃を受けました。

しかし、主人公は孫堅と出会ったこと、孫堅の子らと手を取り合ったことで、さらに強固な結義を交わしたのです。

主人公と孫堅の子らは、悲しみを乗り越えてなおも成長するターニングポイントとなったのではないでしょうか。