地公将軍張宝
前回は黄巾党を率いる三兄弟の末弟、張梁について解説する記事を書きました。
今回は Wo Long の登場人物の一人、黄巾党の三兄弟の中では異質な雰囲気を持つ次男張宝について、紹介します。
※この記事はネタバレを含みますのでご注意ください。
- 張宝は黄巾党の武将
- 張角の弟、張梁の兄で地公将軍と称した
- 炎の妖術と瞬間移動を用いる半妖の術師
この記事は5分程度で読み終わりますので、最後までぜひご覧ください!
Wo Long の張宝
ここからは Wo Long における張宝の解説と作中での動向を紹介します。
人の道を外した次男
張宝は黄巾党を率いる三兄弟(張角・張宝・張梁)の次男で、「地公将軍」を自称します。
張宝はストーリー冒頭の黄巾の乱から登場します。
「兄者、我らが弟の勢いをご覧あれ…黄天の世は目前ですぞ。」
徐州のとある村を襲撃する黄巾党を眺め張宝は兄の張角に語り掛けます。
張宝は、頭を覆面と頭巾で覆った怪しげな男です。
しかし爛れたように黒い肌と赤く輝く瞳、その覆面から除く顔は明らかに人間のものではありません。
張宝はすでに丹薬という薬を服用しており、人ならざる者へと変貌していました。
人の丹田から抽出される気から成る丹薬は、服用した者の丹田を活性化させ、興奮作用をもたらします。
その丹薬は本来過剰摂取すると自我が崩壊し、さらに妖気に包まれた末に異形の妖魔と化してしまいます。
しかし、強い意志を持つ一部の人間は、意思と人の原型を保ったまま妖魔化する「半妖」となります。
張宝はすでに半妖となっていたのです。
東山の攻防
その後、張宝は兄の張角と行動を共にし、兗州泰山郡の東山を占拠しました。
ここで拠点を築いていた最中に弟の張梁が討たれたという報がもたらされました。
公孫瓚率いる官軍が東山に攻め込むと、巨大な猿のような妖魔「朱厭」を使役して公孫瓚の斥候部隊を壊滅させました。
その中で張宝は、黄巾党を探りに来た天柱衆の紅晶を捕らえました。
張宝は己の信じる神格「太一」への生贄として処刑場に「封豨」を放ち、紅晶を食い殺させようとしましたが、そこに主人公と趙雲が現れました。
張宝は姿を消し、封豨に主人公ら三人を襲わせました。
しかし主人公と趙雲の共闘によって封豨は討たれ、紅晶は解放されました。
鬼哭の谷
東山を離れた張宝は、冀州趙國の鬼谷溝と呼ばれる場所で劉備たちと対峙します。
丹薬を使って信徒たちを妖魔とし、劉備に手傷を負わせるなど優勢に立ちますが、主人公と紅晶の加勢によって形勢は覆されました。
鬼谷溝の奥にある洞窟にいる張宝のもとに伝令が到着し、撤退を進言します。
しかし張宝が手に持った鐘を鳴らすと、伝令の体が発火しました。
伝令はたまらず祭壇の階段から転げ落ち、熱さに悶えます。
「臆するな。ただひたすらに黄天の世を目指すのだ。」
もはや後に引けない張宝は、劉備軍を待ち受けました。
張宝との対峙
すぐに主人公、関羽、張飛の三人が張宝のもとにたどり着きます。
張宝は祭壇から消えたと思うと、三人の目の前に突如現れました。
手に持った鐘を鳴らすと、祭壇の全ての篝火が激しく燃え上がりました。
異様な光景に驚く三人。
張宝は炎を自在に操る妖術を用い、さらに妖魔化した術者を呼び出し、自身を強化するなどの妖術で三人に襲い掛かります。
しかし、主人公たち三人の奮闘によって張宝は徐々に追い詰められます。
「黄天の世、必ずや、兄者が…天下大吉…。」
最期に黄天の世を長兄の張角に託し、妖魔と同様に赤い塵となって消え去りました。
民を安んずるために起こした黄巾の乱。
しかし彼がしたこと、目に映っていたものは惨劇以外の何物でもなかったはずです。
人の身を捨て、禍々しい妖術にすがった男は、狂信に支配されたまま哀れな最後を迎えたのでした。
張宝はどんな人だったのか
Wo Long では完全に化物の張宝ですが、実際の三国志ではどのような人物だったのか紹介します。
正史の張宝
張宝は、太平道という宗教勢力を率いた張角の弟です。
冀州鉅鹿郡出身
?~光和7年(184年)
張角が漢王朝の腐敗に悩む民たちを率いて西暦184年3月に黄巾の乱を起こすと、地公将軍の名で黄巾党を率います。
挙兵時、すでに兄の張角が病床の身であり、黄巾党の実質的な指揮官は張宝だったといいます。
黄巾党は当初、官軍を圧倒するほどの善戦をします。
しかし、官軍が体制を整えると、三男の張梁と共に冀州鉅鹿郡の広宗に籠り、官軍(漢王朝の軍)と激突します。
184年10月に入ると、霊帝(とてもつらいの人)が皇甫嵩を派遣します。
黄巾党は、広宗で官軍を相手に抗戦しますが、主導者だった張角が病死します。
さらに皇甫嵩の奇襲によって、張梁は戦死。
残された張宝は下曲陽に籠ります。
しかし、追撃してきた皇甫嵩と鉅鹿太守の郭典に攻め込まれ、最期を迎えました。
張宝の首は京観(※)として城南に埋められました。
以前の張梁の記事でもそうでしたが、史実の張宝もほとんど大まかな動向ぐらいしか分かりません。
※京観=戦死者の死体を積み上げて塚とする埋葬方法。
三国志演義の張梁
小説「三国志演義」では、張宝について少し面白い設定が追加されているのが特徴です。
張宝は正史と同様に弟の張梁と共に黄巾党を率います。
しかし、乱の最中に張角は病死してしまいます。
長兄の死後も張宝は黄巾党の指揮を執り、皇甫嵩と朱儁率いる官軍と衝突します。
演義では正史と違い、豫洲潁川郡の長社という場所での戦いとなっています。
黄巾党は官軍の火攻めと曹操の奇襲を受けたことで敗走します。
皇甫嵩・朱儁・曹操の追撃の中で、弟の張梁が戦死します。
このとき張宝は官軍に対し、なんと妖術を用いて抵抗したのです。
しかし朱儁によって妖術は看破され、陽城まで退却します。
やがて陽城が皇甫嵩、朱儁に包囲されると、張宝は部下の厳政に裏切られて殺されました。
厳政は張宝の首を持って官軍に投降しました。
厳政は三国志演義にのみ登場します。
「張宝を裏切りその首を持って官軍に下る」マジでこのためだけに登場する人です。
なので降伏後どうなったのかも分かりません。
張宝の妖術使いの設定が Wo Long において妖術を使う半妖という設定に落とし込まれていますね。
Tips 鬼谷溝
余談ですが、 Wo Long で張宝の終焉の地であった鬼谷溝ですが、どうも鬼谷溝という場所は本作のオリジナルっぽいですね。
作中の説明では、春秋戦国時代の鬼谷子が隠棲した地と説明されています。
鬼谷子は春秋戦国時代の楚の人だったそうですが、実在したか疑わしいです。
鬼谷子は山西省沢州府の地名から鬼谷という名を名乗ったといいます。
そこから山西省、河南省、河北省にまたがる大行山脈の奥地を鬼谷溝という隠棲の地として設定したのでしょう。
かつて鬼谷子が、弟子たちに講学をしていた学びの場だったのです。
張宝と戦っているときの三国志感0のゴシックホラーのような曲はかなり耳に残りますね。
この背景を知ったうえで聴くと、神聖な学びの地を踏みにじられた先人たちの嘆き悲しむ声のように聴こえてこないでしょうか。
さいごに
今回は Wo Long に登場するボスキャラクター張宝について紹介しました。
張宝は登場時点ですでに人外の見た目をしており、初見のプレイヤーに強烈な印象を植え付けたキャラクターと言えるでしょう。
しかしいかに半妖といえど、やはり丹薬に手を出すと頭のネジが外れるみたいです。
作中の動向もぶっ飛んでますが、妖術を使う度にシャウトしたり、狂ったように笑いながらグルグル剣を振り回したりします。
あんなになってまで野望を果たそうとするのは理解に苦しみますね。
ライター紹介
- 主にPS5のゲームの攻略や考察などの記事を執筆します。
皆さんに楽しんでいただける記事を作っていきたいと思います。