[ウマ娘]タマモクロスの元ネタを解説。なぜ貧乏設定&関西弁?

タマモクロスの元ネタを解説

タマモクロスは、ウマ娘プリティーダービーのアプリの中で莫大な人気を誇り、実装を待ちわびていた方は多いでしょう。

タマモクロスの元ネタの1つとして貧乏設定という点があり、さらには関西弁のツッコミキャラという肩書があります。

この記事では、

  1. なぜ貧乏設定なのか
  2. なぜ関西弁のキャラになったのか
  3. オグリキャップとの関係
  4. 「白い稲妻」の元ネタとは

この記事は5分ほどで読めるので、是非最後まで読んでいってください。

なぜ貧乏設定なのか?

タマモクロスはなぜ貧乏設定なのでしょうか?

実はタマモクロスがいた牧場に関係があるんです。

タマモクロスの牧場が倒産した

タマモクロスが所属していた錦野牧場が倒産したため、このような設定になりました。

錦野牧場には億単位の借金があり、タマモクロスが活躍を始めることを待つまでもなく倒産してしまいます。

錦野オーナーもあらゆる財産を差し押さえられました。

タマモクロスの才能が開花し始めたのと同時に、同じ牧場でタマモクロスの1歳下の妹、ミヤマボビーという馬がG1エリザベス女王杯を制しています。

もう少し倒産するのが遅かったら、牧場の未来も変わっていたのかもしれませんね。

タマモクロスは高く売れなかった

錦野オーナーはタマモクロスが1,000万円ほどで売れると予測していました。

しかし、結果は半額の500万円で売られます。

高値が付かなかったことにより貧乏設定にされたという点も考えられます。

なぜ関西弁のキャラクターになった?

キレキレの関西弁を使いこなすタマモクロスですがなぜ関西弁のキャラクターになったのでしょうか?

関西地方のレースにめっぽう強かった

タマモクロスの競走馬の 戦績は、18戦9勝。

そのうち8勝を京都か阪神レース場で挙げています。

タマモクロス関西で勝ったレースを見ていきましょう。

レース名レース場
4歳未勝利阪神レース場
4歳以上400万下京都レース場
藤森特別京都レース場
鳴尾記念(G2)阪神レース場
スポニチ賞京都金杯(G3)京都レース場
阪神大賞典(G2)阪神レース場
天皇賞春(G1)京都レース場
宝塚記念(G1)阪神レース場

競走馬としての初勝利も阪神レース場でした。

これを見ると「関西で走るために生まれてきた」と言っても過言ではなさそうです。

余談ですが、タマモクロスは4歳以上400万下のレースから、東京レース場で行われた天皇賞秋まで、8連勝しました。

イナリワンの存在

西がタマモクロスなら、東にはイナリワンという馬がいます。

実は二人とも同年代です。

イナリワンは地方競馬である大井競馬場出身でウマ娘では「生粋の江戸っ子」というキャラになりました。

ウマ娘でも二人の絡みがよく見られます。

Ifストーリーを元にしている

イナリワンが中央競馬に参戦したのが1989年1月、タマモクロスは1988年12月の有馬記念で引退しています。

ちょうどすれ違いで出入りすることになったため、史実で対戦することはありませんでしたが、のちにオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンが平成3強と呼ばれるようになり、

オグリキャップとタマモクロスの名勝負があったことから、「もしこの二人が戦っていたら?」という話題が競馬ファンの間で上がりました。

これらの点から江戸っ子であるイナリワンと、関西で活躍したタマモクロスの対比をウマ娘で描こうと、タマモクロスを関西弁設定にしたものと思われます。

オグリキャップとの関係

ウマ娘ではオグリキャップとタマモクロスは人気がある名コンビです。

史実での名勝負は白熱したものでした。

オグリキャップとの名勝負

二人が戦ったレースは以下の通りです。

(いずれも1988年)

天皇賞秋タマモクロス1着オグリキャップ2着
ジャパンカップタマモクロス2着オグリキャップ3着
有馬記念オグリキャップ1着タマモクロス2着

どちらかが先にゴールすれば、どちらかは必ず次にゴールするという構図です。

これぞライバル関係といった感じですね。

ウマ娘では名コンビ

二人は同部屋で、ホーム画面でも度々2人が話している場面が見られます。

史実ではバチバチだった二人がウマ娘の世界では仲良くしているところを見ると微笑ましいですよね。

それに、タマモクロスはツッコミキャラで、オグリキャップは天然キャラなので、二人の会話もまるで漫才のようです。

なぜ白い稲妻という二つ名が付いた?

最後にタマモクロスの二つ名、「白い稲妻」について解説していきます。

父親から譲りうけた

実は「白い稲妻」という二つ名はもともと父のシービークロスという馬に付けられていたものでした。

シービークロスは芦毛の馬で、後方からの強烈な追い込みが特徴の馬でした。

タマモクロスも同様に芦毛の馬で、終盤一気に追い込むというレースを得意としており、天皇賞春秋連覇など父親を凌ぐタマモクロスの活躍ぶりから、白い稲妻という二つ名で呼ばれるようになりました。

京都金杯の追い込み

タマモクロスの追い込みを象徴するレースが京都金杯です。

馬郡を切り裂いて終盤15頭抜きを達成しての見事な勝利でした。

ちなみに父親シービークロスは東の中山金杯を制しており、親子で西と東の金杯勝利となりました。

さいごに

関西で活躍し、その名を轟かせたタマモクロス。

言ってしまえば、タマモクロスは育った環境に恵まれなかったのかもしれません。

しかし、日本を代表する馬に成長し、約30年の月日を経てウマ娘で愛されるキャラクターになりました。

元ネタと照らし合わせながらウマ娘でタマモクロスを育成すると、感慨深いものがあるかもしれませんね。