初代ポケモンを発見!第2回 レトロゲーム博物館計画 資料展示会現地レポート!

貴重な展示品が盛りだくさん!レトロゲームの資料展示会に行ってきました!

2023年の8月に「第2回 レトロゲーム博物館計画 資料展示会」が開催されました。

このイベントを主催された「日本レトロゲーム協会」の石井さんは「日本のゲーム史博物館を実現させよう!」と、さまざまな取り組みをされていらっしゃいます。

そんな「日本レトロゲーム協会」が所蔵しているゲーム機や資料は、今となってはなかなか見ることができない貴重なものばかり。

筆者も行ってきましたので、今回はその現地レポートをお届けします!

  1. 子どもたちはもちろん、遠方から来た人も多数!
  2. 初代『ポケットモンスター』を発見!
  3. レトロゲームの王様「ファミリーコンピュータ」と、その周辺機器。
  4. ファミコンより古いものも?その他にもさまざまな展示物がありました。

この記事は約5分ぐらいで読み終わりますので、最後までお楽しみください。

現地周辺と展示の様子

JR大阪駅から、電車に揺られて2時間ほど。

到着したJR山中渓駅は、周辺が山に囲まれていて、のどかな風景が広がっていました。

紀州街道を進んでいくと会場に着くとのこと。(駅前でかき氷を売っているおじさんが教えてくれました)

8月ということもあり、暑かったなぁ……。

5分ほど歩いて、現地に到着! 手描きイラストの看板がありました。

ぽっちゃり体型のマリオがいいですね(笑)

最近のマリオはかなりイケメンなので、これぐらいぽっちゃりした感じのほうが筆者は好きです。

今は使われなくなった学校をお借りしているようで、中に入ると短い廊下がありました。

廊下に並べられていたのは、アップライト型のミニ筐体!

小学生ぐらいの男の子が『パックマン』や『ギャラガ』をプレイしていましたよ!

男の子が去っていったあとの隙を見て、写真を1枚パチリ。

7470点……ふっ、まだまだ甘いな(どの口が言うとんねん)

展示部屋が2つあるようですので、中に入ってみましょう。

ものすごい数のレトロゲーム機!

こ、これはすごい!

家庭用ゲーム機はもちろん、携帯ゲーム機、コントローラ、電子ゲームや玩具、たくさんのレトロゲーム機がありました。

コントローラは、実際に触って操作感を確かめることもできるようになっています。

こういったものは、知識だけはあっても、実際に触れる機会はほとんどありません。

ゲーマーにとって、とても貴重な体験ができる場所になっています。

展示されていたものを紹介していきますね。

初代ポケットモンスターを発見!

ずらっと並べられたゲーム機やソフトのなかに、初代『ポケットモンスター』を発見しました。

初代が発売されたのは1996年のことですから、もう25年以上も前のソフトですね。

現在も『スカーレット』『バイオレット』が人気のポケモンですが「初代」の頃を知らない人も多いのではないでしょうか?

ゲームボーイだから実現できた、全く新しいゲーム

初代ポケモンが発売されたのは「ゲームボーイ」です。

全世界で1億台以上販売された、元祖携帯ゲーム機ですね。

『ポケットモンスター』初代は、携帯ゲーム機の特徴を活かした、今までにない特徴を数多く持っていました。

① バージョン違いの同時発売

初代『ポケモン』のバージョンは「赤」と「緑」です。後に「青」も発売されました。

御三家ポケモンの「炎」「草」「水」に対応した色ですね。

出現するポケモンの種類や分布がバージョンごとに異なっているので、片方のバージョンだけでは絶対に全部集めることはできません。

同じゲームで「バージョンが違う」ソフトが発売されるのは、当時とても斬新なアイデアでした。

② ケーブルを使った通信交換

全部のポケモンを集めるためには「通信ケーブル」を使って、他の人が持っているポケモンと交換をする必要がありました。

当時の私は「青」を持っていたので、他のバージョンを持っているクラスメイトとケーブルを繋いで交換しました。

筆者は当時引越しをしたばかりで、クラスメイトに知っている人が誰も居なかったのですが、ポケモンの話題を通じて新しい友だちができたことを覚えています。

『ポケモン』は、ゲームを楽しむというよりも、人とのコミュニケーションを楽しむものだったよなあ、と今になって思います。

他の人と通信をするという遊びは「ゲームボーイ」のような携帯ゲーム機だからこそ実現できたものです。

当時すでに発売から7年経過しており、売上も頭打ちとなっていた「ゲームボーイ」ですが『ポケモン』によって再び注目を集めることになります。

96年にはゲームボーイを小型化した「ゲームボーイポケット」

98年には有機ELバックライトを搭載した「ゲームボーイライト」やカラー画面を搭載した「ゲームボーイカラー」が発売されました。

それまでのゲームボーイは「白黒画面」で「バックライトなし」だったので、暗い部屋や日差しの強い屋外では、画面が全く見えなかったんですよね(笑)

現在はスマートフォンでゲームができるので、携帯ゲーム機は時代に合わないものになってしまいました。

しかし、今も昔も『ポケモン』の人気は変わらず続いています。

それはもしかしたら『ポケモン』が持つ「誰かとつながる」という普遍的な魅力のおかげなのかもしれませんね。

レトロゲーム機の王様「ファミリーコンピュータ」

レトロゲーム機といえば「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」ですね!

今年で40周年を迎えました。ニンテンドーダイレクトでも取り上げられていましたね。

ファミコンと同時発売されたソフトは、マリオのデビュー作である『ドンキーコング』など、全部で3種類。

1985年には、誰もがよく知る『スーパーマリオブラザーズ』が発売されました。

とても大変だったファミコンの開発

ファミコンの開発にあたり、当時の任天堂社長である山内溥氏が、開発陣に要求したことは2つ。

1、競合他社に3年間は真似されないぐらいの高性能にすること。『ドンキーコング』を忠実に移植できるような性能にすること。

2、価格を1万円以内に抑えること。

どこよりも安く、どこよりも高性能。口で言うのは簡単ですが、実現させるのはとても大変!

そもそも『ドンキーコング』はアーケードゲームなので、多数のICチップで動く超高性能なゲームなのです。

それを家で遊べるようにするには、チップの数をわずかにして、さらに小さくしなければなりません。そのためには特注品のチップを作らなければ……。

CPUはどうする? コントローラはどうする? テレビにどうやって繋げる? 課題は山積みです。

しかし、任天堂はそれらの課題をひとつずつクリアしていきました。

1983年7月15日、ファミリーコンピュータ発売!

価格は14800円で、1万円以内には収まりませんでしたが、それでも当時としては安く、トップクラスの性能を有していました。

発売直後に問題が発生し全品回収!

満を持して発売された「ファミコン」ですが、発売してまもなく、大きな問題が発覚します。

テレビに映像を映すためのLSIチップに負荷がかかりすぎると、熱暴走を起こして正常に動作しなくなることがわかったのです。

人気ソフトの『ベースボール』で問題が発覚し、任天堂はファミコンを「出荷停止」「市場回収」することに……。

最も大事な1983年のクリスマス商戦に、ファミコンを販売することができなかったのです。

100万回の打鍵テストをしたはずのボタンが壊れたり、想定外のクレームもたくさんありました。

任天堂としては非常に苦しい時期が続きましたが、買ってくれたお客様を裏切ることなく、ファミコンの改良を重ねていきました。

やがて、ファミコンが再度発売されて品質も安定してくると、すぐに他社のゲーム機を追い抜いて、圧倒的なシェアを獲得しました。

当時の子どもたちが「ファミコンがほしい!」「ファミコンが一番おもしろい!」と強く支持したのです。

ファミリーコンピュータロボットを発見!

ファミコンの隣に置かれていたのは、ファミリーコンピュータロボット!

『大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL』にも参戦していたので、見たことがある人もいるかもしれませんね。

テレビから発信される信号をキャッチして、ワイヤレス制御で動きます。

ロボットの動きとゲームの内容が連動していて、現実とゲームを組み合わせた独特の遊びを楽しむことができました。

Switchで発売された『Nintendo Labo』も、このロボット遊びと発想が似ているように思います。

海外版ファミコンのNESも!

これは海外で発売されたファミコンで、名前は「NES」といいます(正式名称はNintendo Entertainment System)

ファミコンとは見た目も色もずいぶん違っていますね。「あえてゲーム機っぽく見せない」という、任天堂の販売戦略があったからです。

ソフトカートリッジは、ファミコンだと上から挿していましたが、NESは前から挿し込みます。

左にある銃のコントローラは、NES用の光線銃「Zapper」です。

NESとセットで、光線銃とその対応ソフト『ダックハント』を同梱して販売していました。

『大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL』に「ダックハント」が参戦していましたが、じつは海外では超有名なソフトなんです。

やっぱり海外の男の子は銃が大好き!ということなのかもしれませんね。

まだまだあるぞ!珍しいゲーム機の数々を紹介

それ以外にも珍しいゲームがたくさんありました!

そのなかの、ほんの一部を紹介します。

ゲーム&ウオッチ版『ドンキーコング』

1枚の写真では収まりきらないほどの、たくさんのゲーム&ウオッチがありました!

この写真で注目してほしいのは、左下にあるオレンジのゲーム&ウオッチです。

これは『ドンキーコング』のゲーム&ウオッチ版。

注目ポイントの1つ目は、折りたたみが可能である「マルチスクリーン」シリーズという点。

「いま、時代はマルチプル!」という、時代を感じさせるコマーシャルで知られています(笑)

2画面にすればゲーム内容をより高度なものにできますが、サイズが大きくなってしまい、持ち運びにくくなります。

そこで「折りたたむ」という発想をしたのがスゴイ点です。1982年当時は、まだノートパソコンがない頃ですからね。

化粧品のコンパクトを参考にして、持ち運びやすい形状にするにはどうするか、何度も検討を重ねて作られました。

注目ポイントの2つ目は、「十字キー」を初めて採用した点。

上下左右に移動する必要がある『ドンキーコング』で、ひとつずつボタンを用意するのは、サイズ的にも難しい。

ゲームセンターにあるような突起の付いたジョイスティックでは、子どもが踏んでケガをするかもしれませんし、折りたたむことができなくなってしまいます。

そんな制約があるなかで、親指一本で自在に上下左右の入力ができる十字キーは、とても画期的なものでした。

今ではほとんど意識することはありませんが、歴史を知ることで、決して当たり前のものではないのだということに気づかされます。

日本初の家庭用ゲーム機「テレビテニス」

展示物のなかに「テレビテニス」を発見しました!

1975年に発売された、日本国内で初めて発売された家庭用ゲーム機です。

発売したのは任天堂ではなく、大手おもちゃメーカーのエポック社です。現在も「シルバニアファミリー」などの女の子向けの人形などで有名ですね。

左右2つずつ備え付けられたダイアルを回して、四角いパドルを上下左右に動かし、テニスのように左右に飛び交うボールを打ち合います。

テレビへは有線で繋がず、本体から電波を発信してテレビ側に飛ばすワイヤレス方式でした。

電源コードはなく、電池で動かすので、精密機器というよりはおもちゃといった感じがしますね。

子どもから大人まで、幅広い世代に愛されるゲーム機たち

当時を知る大人はもちろん、夏休み中の子どもも多く、幅広い世代の方が来場されていました。

当時を懐かしみつつ思い出話をする人や、息子にゲームを教えるお父さんの姿も見かけました。

実際にレトロゲーム機で遊べるブースも用意されていて、筆者もここで「バーチャルボーイ」をプレイしましたよ!

今回の展示会を主催された「日本レトロゲーム協会」は、2025年の大阪万博に向けて、さらなる取り組みを続けられるそうです。

昔のゲーム文化を未来に残す取り組みは、日本国内ではまだまだ少なく、有志の方々で協力し合わなければならないのが現状です。

しかし、今後こういったイベントを通して「レトロゲームを残してほしい」という声が集まれば、より大規模な「レトロゲーム博物館」が実現するかもしれません。

この記事を読んで、少しでもレトロゲームに興味をもっていただけますと、とても嬉しいです!

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ライター紹介

ゆきじぞう
レトロゲームやアーケードゲームが大好き!な「ゆきじぞう」と申します!キャラゲッ!のレトロアーケードゲーム担当に任命されました(自称です)私が取り上げるのは、長い時を経ても愛され続けている素晴らしいゲームが中心になるかと思います。今のゲームにしかない魅力と同じように、昔のゲームにしかない魅力もあります。私の記事を読んで「昔のゲームだけどやってみようかな?」と思っていただけたら、とても嬉しいです!