【刀剣乱舞】新たな古備前派現る!? 新刀剣男士・八丁念仏の来歴や由来について解説!

刀剣乱舞初のギャル男士・八丁念仏について解説!

刀剣乱舞、新刀剣男士実装&サービス開始8周年、おめでとうございます!!

もう8周年なんですね。

なんだかちょっと前に4周年・5周年を祝ったような気持ちでいましたが、気がついたらこんなに経っていたんだなぁ。

あと2年で10周年かと思うと、サービス継続の長さにめまいがしそうです。

凄いコンテンツだ……。

これからも続く限り続いていただきたいものです。

というわけで、今回はサービス開始と共に実装された新刀剣男士・八丁念仏について解説していこうと思います!

  1. 新刀剣男士・八丁念仏の歴史や名(号)の由来について知れる!
  2. 八丁念仏と縁のある刀剣男士や回想に登場する刀剣男士を解説
  3. 情報を先にインプットしておくことで、よりキャラクターの事を深く理解した状態で仲間にする事ができる!

新たな古備前派である事に加え、これまでの刀剣乱舞にはいなかった「ギャル」タイプの男士と、情報過多な登場の仕方で審神者を騒然とさせた八丁念仏。

そんな彼についていろいろ知りたいという方は、ぜひ参考に最後までご一読ください!

八丁念仏の「刀剣」としての歴史や名の由来

八丁念仏は、鎌倉時代に制作されたとされる太刀です。

制作者は諸説存在し、片山一文字派・行家や長船派・守光である説などが唱えられています。

刀剣乱舞では、鎌倉時代中期に活躍していたとされる古備前派の刀工・助村作の可能性が推されているようです。

そのため刀剣乱舞では、刀派も「古備前派」となっています。

刃長は、二尺八・九寸(約84.9~87.9cm)ほど。

現存はしていますが、1923年(大正12年)に起きた関東大震災が原因で焼刃となってしまいました。

もしや、肌の色が黒いのは焼刃だから……?

ギャル男になったのも、この肌の色にあわせた結果なのでしょうか。

なお以前は、切れ込みや刃切れとされる跡が刀身にいくつも残っていたとのことで、さまざまな戦場を通ってきた刀である事がわかりますね。

持ち主は、「戦国最強の鉄砲傭兵集団」と謳われる事もある地侍集団の雑賀衆(さいかしゅう)、その棟梁・鈴木孫一(すずき まごいち)です。

この「鈴木孫一」の名は、雑賀衆の棟梁が代々受け継ぐ形で名乗ってきた、棟梁専用の名前といわれています。

そんな鈴木孫一が、ある時この刀で1人の僧を斬ったところ、僧はそのまま念仏を唱えながら八丁(約900m)を歩き続けた後に、真っ二つに分かれたといいます。

この逸話が由来となり、本作は「八丁念仏」という号をつけられたとのことです。

八丁念仏には「八丁念仏団子刺し」という呼び名もある

八丁念仏には「八丁念仏団子刺し」という呼び名も存在します。

実は八丁念仏に斬られた僧が真っ二つに分かれたという逸話には続きがあり、その切れ味に驚いた鈴木孫一が刀を見ると、鋒に道に落ちていたと思われる石が団子のように刺さっていたため、「八丁念仏団子刺し」と呼ばれるようになったといいます。

しかしそれとは別に、元は「八丁念仏」と「団子刺し(または団子透し)」という名の別々の刀が存在しており、時代の流れと共に「八丁念仏団子刺し」として本作を指す名前に統合された、という説もあります。

団子刺しもまた、雑賀衆にあったとされる刀です。

雑賀衆には「雑賀の三刀」と呼ばれる刀が存在し、団子刺しはその内の1振となっています。

八丁念仏もその内の1振であり、もう1振、備前派刀工の助宗作の刀・橋渡しで三刀となっていたようです。

刀剣乱舞では、あくまでも「八丁念仏」のみに焦点を当てているようなので、作中で団子刺しの話に触れる事はなさそう……。

「八丁念仏団子刺し」以外にも、「八丁念佛」という字で表記されることもあります。

博物館や歴史的な資料などでは、こちらの表記が使われている場合があるので覚えておくといいかもしれません!

2023年現在、八丁念仏は徳川ミュージアムが保管

2023年1月時点で、八丁念仏は茨城県水戸市にある博物館・徳川ミュージアムにて保管されています。

明治維新頃までは、雑賀衆鈴木氏の手元にあったそうですが、生活の困窮を理由に手放されてしまったとのこと。

なおこの当時、雑賀衆鈴木氏は徳川家康の召し抱えられており、家康の末子である頼房(よりふさ)と共に水戸藩へ行き、水戸徳川家重臣として活躍していました。

このような経緯・縁があってか、鈴木家は八丁念仏を水戸徳川家に買い上げてもらいます。

その後は水戸徳川家に所蔵され続け、最終的に水戸徳川家が創設した徳川ミュージアムへと保管先が移動。

2023年現在は、被災した刀専用の桐箪笥「被災刀用桐箪笥」に格納される形で、保管がされています。

右側の引出し1段目に格納されているとのことです。

なお、この被災刀用桐箪笥は、平成27年度に行われた刀剣プロジェクトで集まった寄附金で製作されたものだそう。

刀を思う人達からの寄付から生まれた桐箪笥の中で、博物館職員の手によって今もなお大事に保管されているのだと思うと、それだけでニッコリ笑顔になってしまうものがありますね。

ちなみに徳川ミュージアムでは、八丁念仏の作者は古備前の助村としているようです。

刀剣乱舞が助村作の説で記載しているのは、現在の保管先である徳川ミュージアムの表記にあわせてのものなのかもしれませんね。

八丁念仏と関わりが深そうな刀剣男士達

刀剣男士・八丁念仏と関わりが深そうな刀剣男士といえば、やはり古備前派の刀剣男士達でしょう。

制作者が諸説あるので、本当に古備前派かは不明とも取れますが……、ですが助村作である可能性から古備前派に所属しているようなので、刀剣乱舞では古備前派の男士達と関わりが深いといってもいいでしょう。

刀剣乱舞の古備前派は、大包平と鶯丸の2振がいます。

現在回想の公開は確認されていませんが、今後回想が増えたり、なんらかのメディアミックス作品にて交流が描かれる可能性はあるでしょう。

注目しておいて損なしの刀剣男士達でしょう。

八丁念仏の回想に出てくる刀剣男士

2023年1月現在、八丁念仏の回想では、以下の2振の刀剣男士達が登場しています。

大般若長光

銭六百貫という破格の価格がつけられたことから、「大般若経六百巻」とかけて号がついたことで有名な長船派の太刀・大般若長光。

一見すると八丁念仏となんら関係ない刀ですが、実はとある共通点を持っている刀である事が判明しています。

大般若長光のかつての主の中には、かの有名な武将・織田信長がいます。

織田信長には、当時はまだそこまで広がっていなかった鉄砲を用いて、長篠の戦いで武田軍に勝利した話が残されています。

鉄砲で八丁念仏といえば、雑賀衆。

どうやらこうした連想・共通点から、2振の回想が用意されたようです。

実際、2振の回想が見られるのは、「戦国の記憶 長篠」での事となっています。

よくこんな些細な共通点から回想へ繋げられるなぁ……、刀剣乱舞の歴史への造詣が深すぎます……。

泛塵

真田左衛門佐信繁こと真田幸村が佩刀していたとされる、脇差の泛塵。

大般若長光同様、一見すると八丁念仏とはあまり縁がなさそうに見えますが、実は泛塵の主であった真田幸村には馬上で銃を使おうとしたという話が残されています。

銃といえば鉄砲、鉄砲といえば……とは、もう言うまでもないですね。

この共通点がどのような会話を2振の間に発生させたのか、気になる方はぜひ泛塵と一緒に八丁念仏を出陣させてみましょう。

回想が見られる時代・地域は、江戸の記憶の大阪(大阪冬の陣)となっています。

まとめ

以上、八丁念仏の解説記事でした!

こうして見ると、とことん「ギャル要素」がないな、八丁念仏くん……。

やっぱりあのギャルなノリは、肌色にあわせてつけられた設定なんでしょうかね。

肌色が黒い理由も不明ですが、強いて関連性を考えるなら、やはり焼刃であるという点しかないような……。

回想の件といい、刀剣乱舞の注目する点が予想外すぎて目を瞠るしかありません。

でもそれもまた、歴史について詳しく、よく調べ上げられているからこそ出来るものだと思うので、刀剣乱舞の歴史に対する真摯な姿勢には尊敬の念を抱くばかりです。

今年も1年、刀剣乱舞を楽しんでいきたい所存。

もちろん、審神者の皆様がより刀剣乱舞を楽しめるような記事が書けるようにも精進して参りますので、よろしくしてくださいますと幸いです。

それでは、今回はここまで。

この記事が、読んでくださった皆様のお役に立てていれば嬉しい限りです。

皆様、今年もよき刀剣乱舞ライフをお過ごしくださいませ。